名監督たちによるリメイク! 『トワイライトゾーン/超次元の体験』ネタバレあらすじや感想

サスペンス・ミステリー

『トワイライトゾーン/超次元の体験』ネタバレあらすじ

プロローグ REALLY SCARY

夜更けに走る一台の車。
二人の男がカーステレオでクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの名曲「ミッドナイト・スペシャル」を聴きながら熱唱しています。
ノリノリで歌っていたものの、突然カセットテープが絡まり故障してしまいました。
そこで男たちは退屈しのぎに怖い話をすることにしました。
運転している男は悪ノリして車のライトを消し、危険運転を始めます。
一方、助手席の男は「本当に怖いものを見せる」として、車を路肩に停めるように言いました。
運転手の男はそれが何なのか気になりますが、助手席の男はもったいつけてなかなか話しません。
言われた通り車を停めると、助手席の男は「用意はいいか?」と言って背を向けます。
そして次に振り向いた瞬間、男は怪物に変身しており、運転手の男に襲いかかるのでした…

第1話 偏見の恐怖(ジョン・ランディス監督)

白人至上主義者ビル・コナー(ビック・モロー)はひどく怒った様子でバーに入りました。
彼が友人に語った話によると、なんでも狙っていた昇進のポストを別のユダヤ人の社員に取られたということです。
ビルは怒りにまかせて、「ユダヤ人や黒人や東洋人がアメリカを悪くしている」と差別をむき出しにして悪態をつきます。
あまりに品のない言葉に周囲の客はビルをたしなめ、友人たちもなだめますが、ビルは反省するどころか逆上して喚きちらす始末。
しまいには激昂してバーを出ていってしまいました。

ところがバーの扉を開け外に出た瞬間、そこにはビルのいた世界とはまるで違う光景が広がっていました。
戸惑うビルをSS(ナチスドイツ親衛隊)の将校が発見し、尋問します。
しかし、時代も国も言語も違うため話がかみ合うわけもなく、SSはビルは強制連行しようとします。
からくもビルは走って逃げましたが、SSに発砲され腕を負傷してしまいます。
なんとか民家に辿り着き住民に助けを求めるものの、住民は彼をユダヤ人だとして、助けるどころか大声でSSを呼びます。
SSや国防軍に包囲され、窓から壁を伝って逃げようとしていたビルは恰好の射撃の的と化しました。
とうとうビルは足を踏み外し、地面へと落下してしまうのでした。

次に目覚めた時、ビルはKKK(クー・クラックス・クラン 白人至上主義の秘密結社)の一味に捕まっていました。
KKKたちはビルを黒人だとして、即座に処刑しようとします。
しかし、ビルは処刑される寸前蹴りを放ち、隙をついて逃げ出しました。
ビルは池に飛び込み、KKKたちは水面にショットガンの銃弾を雨あられと放ちます。

ビルが水面から顔を出したとき、そこはベトナムのジャングルでした。
彼の目の前をベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が横切っていったかと思うと、今度は米兵が現れます。
やっと味方を発見したと安堵したビルが近寄っていきますが、米兵は敵と判断し一斉射撃をしてきます。
そして米兵の一人が投げた手榴弾がビルの足元で爆発し、ビルは爆風で吹っ飛ばされてしまいました。

吹き飛んだビルはなぜか壁にしたたか体を打ちつけます。
そこは先ほどの第二次世界大戦時のドイツでした。
すでにボロボロの体のビルは足を撃たれ、あっさりとSSに捕らえられてしまいます。
SSはビルにダビデの星(ユダヤ人に着用を義務化していた)を着けると、家畜用の貨車に有無を言わさず詰め込みます。
そこには同じ境遇のユダヤ人たちが大勢いました。
ビルがふと外をのぞくと、そこには先ほどまで自分がいたバーと、ビルを探す友人たちが見えます。
ビルは貨車の隙間から手を出し、友人たちに必死に呼びかけますが、彼らはビルに気付きません。
やがて、ビルとユダヤ人たちを乗せた貨車は絶滅収容所へと走り去るのでした…

第2話 真夜中の遊戯(スティーブン・スピルバーグ監督)

介護私設「太陽の谷」に入居している老人たちにとって、希望は過去のものでした。
人生の終末期にあり身体も言うことをきかない彼らは、あらゆることをあきらめざるを得ず、マイナス思考になりがちなのです。
特に、なかなか息子の許に一時帰宅できないコンロイは、すっかり偏屈な悲観主義者になってしまいました。
ところがそんな中、新参者のブルームだけは少し様子が違っていました。
ブルームは皆の話題が昔遊びのことになると、「皆で遊べば、失った子供の心や、あの日の喜びを取り戻せる」と缶蹴りをするよう提案します。
深夜に施設の目を盗んで皆で外で遊ぼうというのです。

その夜、ブルームは参加を拒否したコンロイを除き、全員を起こしにきました。
さっそく彼らは童心に帰って、施設の庭で缶蹴りを始めます。
そうして遊びに興じていると、いつしか彼らの姿は本当に子供になっていました。
エイジーは憧れの剣劇アクションの名優ダグラス・フェアバンクスよろしくステッキを振り回し、ハリーは得意だった木登りを始め、銘々が若さを堪能して全力で遊びます。

ブルームは幸せそうな彼らに、「あなた方は望んでいた若さが手に入り、もう一度人生をスタートできる」と声をかけました。
しかし、意外にもそのことを喜んだのはエイジーだけでした。
デンプシーは「自分が若返っても亡き夫は戻ってこない」と言い、それよりも子供になったせいで結婚指輪を失くしてしまったことを嘆きます。
ポールは「もう一度嫌いな学校に行ったり、つらい人生を繰り返すのは嫌だ」と否定しました。
グラディスも「愛する人を失う悲しみはもうたくさん」と困惑顔です。
そこでブルームは「部屋に戻ってベッドで眠れば、目覚めた時には元の体に戻っている」と皆に教えます。
そして「今夜の気持ちを失わず持ち続ければ、身体は老いても若くフレッシュな心でいられる」とも。

皆がベッドに戻った物音で、コンロイは起こされてしまいました。
部屋が子供だらけで大慌てのコンロイは施設の職員を連れてきます。
その時には皆は元の老人の姿になっていました。
ただ一人、これから第二の人生を謳歌するエイジーだけは子供の姿のまま、窓から出て行こうとします。
それを見たコンロイは涙ながらに自分も連れて行ってほしい、と懇願するのでした。
しかし、エイジーは「連れては行けない。君には君の運命がある。」と颯爽と姿を消しました。
残されたコンロイを皆が慰めます。

次の日、庭には生き生きとした表情で缶を蹴って遊ぶコンロイの姿がありました。
他の皆もガーデニングしたり、ピクニックに出かけたり、とても活動的です。
ブルームはそれを見て、安心した表情で施設を去っていきました。
そしてブルームは、次なる奇跡を起こしに新たな施設へと入居するのでした…

第3話 こどもの世界(ジョー・ダンテ監督)

若き教師ヘレン・フォーリーは、人生に変化を求めて新しい町へと移り住むことにしました。
ところがその道中、ヘレンは迷ってしまい、一軒のダイナーに立ち寄り道を尋ねます。
そのダイナーを出る際、ヘレンは先ほどまで店でビデオゲームをしていた少年に車をぶつけてしまいました。
幸い少年は怪我もなく無事でしたが、乗っていた自転車は壊れて動きません。
お詫びにヘレンは少年を家まで送ることになりました。

少年はアンソニーと名乗りました。
アンソニーによると、今日は彼の誕生日だというのに家族は知らん顔だというのです。
ヘレンは、誕生日だというのに一人でゲームに興じ、おまけに事故にも遭ってしまったアンソニーを不憫に思いました。
やがてアンソニーの家に到着すると、アンソニーの両親、叔父のウォルト、姉のエセルが出迎えます。
彼らは愛嬌たっぷりで、特にアンソニーに対して冷たい様子は見られませんが、どこか不自然さがありました。
アンソニーがヘレンに夕食を食べていくよう提案すると、家族も皆ヘレンにしきりに勧めます。
夕食の準備ができるまで、ヘレンはアンソニーと一緒に二階の彼の部屋で待つことになりました。
そして、なぜか家族はヘレンの上着やバッグを預かると言います。
二人が部屋に行ってしまうと、家族はヘレンの持ち物を夢中で漁り始めました。


二階にはもう一人の姉サラがいました。
アンソニーによるとサラは事故に遭っており、そのせいかヘレンが挨拶しても応じることはありませんでした。
ヘレンは気付いていませんが、サラには口がなかったのです
その頃一階では家族皆が、ヘレンのタバコを吸ったり、化粧品を使ったり、写真を眺めたりしていました。
アンソニーが階下へ戻ることを告げると、彼らは急いで持ち物を元に戻し、何事もなかったように繕います。

夕食の時間が始まりました。
しかし、その献立はピーナツバターをたっぷり塗ったバーガーやアイスクリームやポテトチップス等、ジャンクフードばかりです
いつもアンソニーの好きなものを出すという家族に、ヘレンは「子供には栄養が必要。これではいけない」とやんわりと注意します。
アンソニーは家族が誰もこの料理が良くないことを言ってくれなかったことに不信感を抱き、場は気まずい空気に包まれます。
ヘレンはこの家に来た時から感じていた違和感が頂点に達し、帰ることにしました。

ところが、アンソニーはヘレンを引き止め、ウォルトおじさんの手品を見ていってほしい、と懇願します。
家族も、意地でもヘレンを帰らすまいと強引に席に座らせます。
ウォルトは帽子からウサギを取り出す手品をしましたが、彼が次に取り出したのはウサギのような化け物でした。
ヘレンは悲鳴を上げ、荷物をまとめて帰ろうとします。
その時、ヘレンのバッグに誰かが入れた「助けて!アンソニーは怪物」と書かれたメモがあることにアンソニーが気付きました。
家族は誰もがアンソニーを恐れ、メモを書いたのは自分ではない、とシラを切ります。
そして皆がエセルに罪を被せました。
エセルは腹を立て、この家の秘密を何もかもヘレンに話しました。
アンソニーは怪物で、この場にいる家族は皆、彼に騙され家に連れてこられた人たちだったのです
実の姉であるサラは口を消され、本物の両親ももっと酷い目にあわされていたのです。
アンソニーの怒りを買ったエセルは不思議な力でアニメの世界に飛ばされ、怪物に食べられてしまいました。

ヘレンは家を出ようとするも、扉の外は巨大な眼で塞がれています。
アンソニーは、自分は望んだことを何でも実現できる、と言ってTVから異形のクリーチャーを出現させました。
次に彼は家族全員を消し去り、ヘレンも異世界へ飛ばしてしまいます。
それでもヘレンはアンソニーを恐れませんでした。
それどころか超能力を持て余すアンソニーの身の上を案じ、自分が力を制御するための教師になる、と申し出たのです。
初めて人間らしく扱われたアンソニーは「いつまでも一緒にいてくれる?」とヘレンに甘えます。
アンソニーは何もかも元通りにしました。
そしてヘレンとアンソニーは新しい生活に向けて出発するのでした…

第4話 二万フィートの戦慄(ジョージ・ミラー監督)

嵐に揺れる旅客機の中、飛行機恐怖症の男ジョン・バレンタイン(ジョン・リスゴー)はすっかりパニックに陥り、トイレに籠っていました。
心配したCAが何度も声をかけ、ようやくトイレから出てきたものの、「もう大丈夫だ」という言葉とは裏腹に明らかにとり乱しています。
席に着きタバコを吸おうとしたところを周りの乗客に注意され、見ようとした新聞には航空事故の大見出しが躍り、バレンタインは焦りを募らせます。
さらに、窓の外を見た彼は信じられないものを目撃しました。
なんと旅客機の主翼部分に人の形に似た怪物が乗っかっていたのです
怪物は主翼の下のジェットエンジンに手をかけており、雷が怪物に落ちたと同時にエンジンも故障してしまいました。

バレンタインは「翼の上に何かがいる!」と絶叫し、他の乗客たちも一斉に窓の外を見ましたが、すでに怪物の姿はありませんでした。
ひとしきり騒いだ後、バレンタインはCAから安定剤をもらうと、やや落ち着きを見せて眠ることにします。
ただ、それでも先ほどの怪物のことが頭から離れません。
とうとう我慢できずに窓のブラインドを上げると、そこには怪物が窓に顔を押し付けてこちらを見ています
またもやバレンタインは悲鳴を上げ暴れ出したため、副操縦士や乗客たちに取り押さえられてしまいました。
副操縦士は、機内で大騒ぎされると乗客の安全にも支障を来す、とバレンタインを優しく諭します。
それでもバレンタインは「この旅客機は危険だ」と主張し、ジェットエンジンが1つ故障していることを指摘しました。
副操縦士は事実を指摘され少し驚きましたが、残りのエンジンは3つもあり、まもなく着陸するから心配ない、と仕事に戻りました。

着陸は間近といえども、機の揺れはますます激しくなるばかりでした。
バレンタインが窓の外を見ると、例の怪物は別のジェットエンジンを破壊してまわっています。
切羽詰まったバレンタインは怪物を止めるため、酸素ボンベを叩きつけて窓ガラスを割ろうとします。
それを見た乗客は体当たりして行動を阻止しましたが、バレンタインはその乗客から拳銃を奪い、窓に向かって発砲しました。
当然、機内は急減圧が起き、バレンタインも凄まじい勢いで窓に吸い込まれていきます。
窓から機外へ露出した彼の顔はたちまち凍っていきましたが、バレンタインはこのチャンスを逃さず怪物に狙いを定め、銃を連射します。
しかし、銃弾はいずれも怪物を逸れ、一発も当たりませんでした。
怪物はバレンタインに近づくと一瞬で銃を握り潰してしまいます。
絶体絶命の状況ではありますが、もはや滑走路がすぐそこに見えるほど迫っていました。
怪物はここが潮時と思ったのか、バレンタインの顔を掴み、人差し指を振るジェスチャーをすると、上空へと飛び去っていきました。

残ったエンジンで旅客機は無事、空港に着陸しました。
バレンタインは精神異常者として拘束され、救急搬送されていきます。
早速、空港のメカニックが旅客機の点検を始めました。
すると、彼らは何者かによって徹底的に破壊されたジェットエンジンを見て驚愕します

救急車で運ばれるバレンタイン。
救急隊員が突然、「サイレンはやめて音楽をかけよう」と提案します。
そして流れてきたのは「ミッドナイト・スペシャル」でした。
よく見ると、隊員はプロローグで怪物だった男です。
男は「もっと怖い思いをしたいか?」と言って、バレンタインをトワイライトゾーンへと連れていくのでした…


死亡事故について

残念ながら本作は撮影中、映画史上最悪とも言われる死亡事故を起こしています。
それは、ジョン・ランディス監督の第1話において、主演のビル役ビック・モローと子役の二人がヘリコプターの墜落に巻き込まれ亡くなるというものでした。(実は事故のシーンは動画配信サイトで普通に見ることができます)
本来一話のラストシーンでは、ビルは米軍の執拗な攻撃からベトコンの子供を救い、改心したところで元の世界に戻るはずだったのです。
そのシーンでは模擬爆弾が何個も爆発し、ヘリコプターも低空で飛んでいました。
そのため模擬爆弾の爆風がヘリに当たり、故障したヘリが彼らを直撃してしまったのです。
この事故は世間に衝撃を与えました。
何しろビック・モローと言えば、TVドラマ「コンバット!」チップ・サンダース軍曹役で人気を博した俳優です。
おまけに犠牲となった子役はまだ6才と7才でした。
そんな子供を撮影で使うには様々な法的規制があったのですが、実態は夜遅くまで撮影させたり、爆弾を使用した危険な状況であったり、数々の違法行為も発覚したのです。
安全性に問題のある撮影だったことで、3人の遺族はそれぞれ訴訟を起こしました。
その後、額は非公開ながら製作側が遺族に賠償金を支払うことで和解に至っています。
実に痛ましい事故ですが、この事故によって映画業界は新たな製作手順と安全基準を制定することになったそうです。

余談ですが、この事故はまったく関係ない映画にも飛び火してしまいました。
なぜか日本においては、本作と同じ1984年に公開された「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」で死亡事故が起きたという都市伝説が発生したのです。
それはインディのスタントマンと子役2人がヘリの墜落によって死亡したというもので、明らかに本作の事故と取り違えたものでした。
これは、公開年が同じだったことと、どちらもスティーブン・スピルバーグが関係していたことに起因するもの思われます。(もっともスピルバーグは第2話の監督なので事故には無関係ですが)

事故によって第1話のエンディングは差し替えられ、救いのないラストとなってしまいました。
もし何事もなく撮影が終わり、ビルが人間性に目覚め敵視していた民族の子供を救うラストになっていたら、どれほど良かったことでしょう。

『トワイライトゾーン/超次元の体験』感想 

第1話感想 レイシストはガス室に送れ

実にストレートに因果応報を描く、まるで絵本や昔話のような展開です。
アメリカはもともと先住民族の虐殺の上に成り立っており、多民族国家であるがゆえにあらゆる人種を差別してきた過去があります。
それだけにアメリカ人にとって差別というテーマはある種の原罪に近く、深刻に受け止められているのです。
もちろん未だに差別発言を繰り返して開き直る層もいるわけですが、近年のヘイトクライムを許さない取り組みは、人類にとっての大きな進歩だと思います。

かつてのアメリカには(特に南部の州)、この物語の主人公ビルのような人間は珍しくもなかったのでしょう。
彼らはユダヤ人、東洋人、黒人という人種だけで人を否定し(本編では描かれていませんが、ヒスパニックやイタリア系にも同様に接するのでしょう)、根拠もなく自分は有能だと思い込むのです。
より勤続年数の長いユダヤ人が昇進するのは自明の理なのですが、ビルはそんなことすら認められません。
そして、そんな連中が決まって口にするのが「オレはこの国を愛してる」です。
現在の日本でも、ネット上では笑ってしまうほどビルそのままの人間が腐るほど存在していますね。
残念ながら、ビルのようなレイシスト(人種差別主義者)が古今東西を問わず存在するからこそ、このような定番のプロットが古くならないのでしょう。

レイシストは基本的に個人と国家(民族)を区別できません。
目の前にいる人物が「誰か」より「何人」であるかが重要なのです。
そんな連中が差別者から被差別者に逆転した時、その考えがどれほどバカげたことか思い知るのが痛快です。
本エピソードは原作TVドラマ「トワイライトゾーン」第80話「日本軍の洞窟」が元になっています。
それは、すでに死に体となって反撃能力の無い日本軍の部隊を執拗に全滅させようとする米軍中尉が、日本軍と入れ替わってしまう話でした。
中尉は日本軍に助けられ、己の考えを改めるわけですが、やはり本作でもビルは改心してベトコンの子供を救出するラストになるはずでした。
ところが、事故によりビル役のビック・モローも子役2人も亡くなってしまったため、あのようなラストに変えざるを得なかったのです。
しかし、悪人が自らを悔い改める展開も良いですが、当然の報いを受けるのもそれはそれで楽しいものです。
今の世も跋扈するレイシストたちには、作中のビルと同じ目に遭ってほしいですね。

第2話感想 老いを肯定するということ エイジズムの克服

プロローグや他の3つのエピソードを見ても分かるように、この映画版のミステリーゾーンはやや怖い世界を描こうとしているように思えます。
その中にあって、この第2話はファンタジーに振り切った異色のエピソードとして際立った存在感を放っていました。
希望を失った老人たちが若返りの奇跡を経験して何を感じたか、地味ながら後々まで余韻を残す名エピソードです。

原作はTVドラマ版第86話「真夜中の遊戯」ですが、注目すべきは原作よりも老いに対してより肯定的になっていることです。
原作では映画と正反対に、缶蹴りに参加した老人たちは皆子供のまま去ってしまい、参加しなかった頑固な老人だけが取り残されみじめな思いをする、というラストでした。
それに対して本作では、若さを堪能して人生をやり直す選択をした者は1人だけで、多くの者が老いや自分の人生を受け入れ元の姿に戻りました。
つまり、若さや健康だけが絶対的な価値ではないということです。
それに、人生をやり直すということはある意味、それまでの人生を否定することでもあります。
ある者は大切な人の思い出や、自分の歩んで来た道の意味が無くなることを恐れ、若返りを否定しました。
また、ある者は学校等の嫌な思いをまた繰り返したくないと言い、別のある者は長く生きることでさらに死別の苦しみを増やすことを良しとしませんでした。

私たちは若さの価値は誰に言われずとも身をもって知っています。
だから、希望に満ちて老人ホームを去ったエイジーの気持ちはよく分かります。
しかし、若さというものは絶対的に誰もが等しく失っていくものです。
ならば、それに固執することは意味のないことではないでしょうか?
年を重ねれば多くのことを失うでしょう。
だが、失ったものを数えるのは悪手です。
これまでの人生で得たもの、まだ自分が持っているもので何が出来るかを考えた方が建設的です。
肉体は老いても精神が健全であれば人生を最後まで楽しめることをブルームは示しました。

私たちは普段、無意識に「もう若くないから」と言って物事をあきらめてはいないでしょうか?
逆に「若いやつに何が分かる」と差別をしてはいないでしょうか?
それはエイジズムです。
作中、その典型的なエイジズムに囚われた人物がコンロイで、その殻に閉じこもっていたが故に息子の家にも行けず、ホームの仲間にもとり残されました。
ところが、奇跡を目撃した彼はその殻を破って積極的な性格になり、ラストでは皆とも息子たちとも上手くやっていくことを予感させました。
近年、多様性(ダイバーシティ)という概念が幅広く社会に受け入れられるようになってきました。
これからは、子供はこうしなければならない、老人はこうしなければならない、といった固定観念を取り払い、シームレスに全ての年代が活躍できる取り組みが増えていくことが期待されます。

ところで、個人的にはブルーム役のスキャットマン・クローザースは「シャイニング」のディック・ハロランのイメージが強かったので、彼ならシャイニング(=超能力)を持っているから奇跡を起こすのもさもありなん、と感じてしまいました。

第3話感想 怪物に誰が躾をできるのか

随分と昔に本エピソードを観た時は、アンソニーのクソガキっぷりに腹が立ち、何やらハッピーエンドめいた終わり方に納得がいきませんでした。
アンソニーは既に何人も殺したり再起不能にしているようだし、彼が何の報いも受けなかったのはやっぱり今観ても不愉快ではあるのですが、自分が子育てを経験した後で観ると、また違う発見もありました。
それは子供の無邪気さと躾・教育の大切さです。

恐ろしい能力を持っているとはいえ、アンソニーの言動は実に子供らしいものです。
アニメがお気に入りだから家の外観も構造もアニメそっくりにしてしまうし、能力によって用意した食事はお菓子だらけでした。
そして困ったことに外部の人間を連れてきては、強引に家族にしてしまうのです。
本当の家族はアンソニーを怒るから、すでに消し去ったり拘束しているわけですが、やっぱり一人でいるのは嫌なのでしょう。
どこまでもヘレンに甘えているのも、子供ってこういうものだったなと実感します。
もっとも、周りの大人にしてみれば、逆らったら酷い目にあわされるわけですから、当然注意のしようもないわけで、ご機嫌とりに終始するしかないわけです。
そうなると、アンソニーはもう物事の善悪が全く分からなくなります
ヘレンにお菓子ばかりの食事を「子供には栄養が必要、これでは良くない」と言われたときも、なぜ教えてくれなかったのか不満げです。
まあ、ダメ出ししたら殺すくせに身勝手なことを言っているわけですが。
そういうわけで、子供には躾や教育をしてくれる保護者が絶対的に必要なのです。
ヘレンはアンソニーが怪物だからといって特別扱いせず、普通の子供として接しました。
そして自らが保護者・指導者になると言ってくれたのです。
最終的にはそのことがアンソニーの心を打ち、ヘレンについていくこととなりました。
ヘレンは理想的な教師像と言えるでしょう。

ちなみに、原作であるTVドラマ版第73話「こどもの世界」はもっと恐ろしく突き放したストーリーでした。
何しろ、アンソニーによって世界は消滅し、彼とごく少数の人間が住む町しか存在していないのです。
オチらしいオチもなく、アンソニーは誰からも注意されず、この先も暗黒の世が続くことだけが示唆されるという全く救いのないエピソードなのです。
それに比べると、この映画版は第2話に続き、随分と希望に満ちたラストとなりました。

さて、アンソニーは子供だったから教育によって能力や欲望をコントロールできる余地がありました。
しかし、もしアンソニーが大人だったらどうなっていたでしょうか?
もはや誰も手をつけられないのは間違いありません。
ところが、アンソニーほどの能力を持っていなくとも、金や権力によって彼と同様に望みが何でも叶う状態になってしまっている人間が現実にも山ほどいることが問題です。
注意する者を酷い目にあわせるために、周りにイエスマンしかいない裸の王様などいくらでもいるでしょう。
世界に目を向ければ、それが国のトップであることもまた珍しくもないのです。
放置すれば、やがて世界はTVドラマ版のようになってしまうのかもしれません。
だが、現実には怪物を躾られる人間など存在しないのです。

第4話感想 焦燥感を楽しむ

ジョージ・ミラーといえば「マッド・マックス」!
本エピソードも、監督ならではの最初から最後まで緊張の糸が緩まないテンションが持続します。
また、怪物を目撃して叫ぶバレンタインの目が一瞬飛び出る演出も「マッドマックス」より過剰になっていました。
社会的なメッセージを感じられる他の3本と違い、これだけはエンターテイメントに特化した作りであり、特に人気が高いエピソードというのもうなずけます。

私は飛行機に乗ったことがないので、それが怖いものなのか見当もつきませんが、世の中には飛行機恐怖症というものがあるそうで。
その症状のパニックに陥った男ジョン・バレンタイン役を演じたジョン・リスゴーの真に迫った演技が素晴らしく、こちらにも焦燥感が伝染しそうなほどでした。
また、緊張を煽るBGMや、こまっしゃくれた女児、威圧感を与えてくる連邦航空局の男などもジリジリと精神を蝕んできます。
飛行機恐怖症のせいで人に信じてもらえないもどかしさも相まって、刻刻と悪化する危機的状況を楽しむことができました。

本エピソードの原作はTVドラマ版第123話「二万フィートの戦慄」。
映画版の4エピソードの中で、これが最も原作に忠実な作りです。
原作もまた、主演のウィリアム・シャトナーの凄みを感じる演技が好評で、「トワイライトゾーン」の中でも人気のあるエピソードだそうです。
そんな人気作故に、2019年版のTVドラマ「トワイライトゾーン」では、実に3度目の映像化がなされています。
その名も「三万フィートの戦慄」!
私は未だに観ることができていないのですが、聞くところによると結構な捻りが加えられているとか…
主演のアダム・スコットがどれだけ迫真の演技ができるか気になるところであります。