『地獄の門』ネタバレあらすじ
霊との交信
呪われた地ダンウィッチ。いま、霧深き墓地を一人の神父が思いつめた顔で歩いています。
そこにある墓碑銘には「不滅を求める魂は死のくびきを逃れる。さまよう魂よ、来たまえ、地獄の門ダンウィッチへ」とありました。
神父はおもむろに木にロープをかけると、首を吊って自殺してしまいます。
それはニューヨークで降霊術をしていた霊能者メアリーの見た幻視(ヴィジョン)でした。
メアリーはさらに死者が蘇るヴィジョンを見て、あまりの恐怖に心停止してしまいます。
しかし、霊と交信していてショック死したなどということを警察が信じるはずもありません。
刑事は、メアリーが仲間と麻薬を濫用した結果、オーバードーズで死んだのではないかと判断し、交霊会のメンバーたちを疑いました。
メンバーの一人である霊媒師テレサは、今回のことは旧約聖書の「エノク書」によって予言されていた、と主張し、さらにはどこか他の街で恐ろしいことが起きている、と言い放ちます。
地獄の門は開かれた
すでにダンウィッチの街では不可解な現象が起きていました。
知的障害を持つ孤独な青年ボブは廃屋で腐った死体を発見し、酒場では鏡が割れ、壁にひびが入りました。
酒場の常連客によれば、怪現象はトマス神父が首を吊ってから発生しているようです。
街の精神科医ジェリーが患者であるサンドラのカウンセリングをしていると、恋人のエミリーが入ってきました。
彼女はジェリーと夜会う約束があったのですが、可哀想なボブを放っておけず、その手助けに行くというのです。
一方ニューヨークでは、メアリーの死に不審を抱いた新聞記者ピーターが彼女の墓を探っていたところ、偶然にもメアリーが棺の中で息を吹き返し、その助けに応じました。
テレサによれば、メアリーが復活したこともまたエノク書に書かれた通りの出来事でした。
メアリーはピーターに、どこかの街で神父が首を吊ったことで地獄の門が開かれ、死者たちが蘇ったことを説明します。
数日後の万霊節(死者の魂が帰ってくる日。ハロウィンの翌日)を迎えれば、地上は生ける死者に支配されてしまうことでしょう。
そうなる前に地獄の門を閉じねばなりません。
ただ、メアリーもその街がどこにあるかまでは分かりませんでした。
石碑に刻まれたダンウィッチという地名を頼りに、メアリーとピーターは地獄の門を閉じる旅へ出発することになります。
約束通り、エミリーがボブの住処へ行くと、ボブは何かにひどく怯えているようでした。
エミリーが声をかけた瞬間、何者かの不気味な雄叫びが響き渡り、ボブはエミリーを突き飛ばすと、自分だけ一目散に逃げてしまいます。
一人取り残されたエミリーは、蘇ったトマス神父に顔中、腐肉やミミズを塗りたくられ、ショック死してしまいました。
同じ頃、空き地に駐めた車内でイチャついていたカップルもまたトマス神父に遭遇します。
女はトマス神父に見つめられると、血の涙を流し、口からあらゆる内臓を吐き、絶命しました。
男はトマス神父に後頭部を掴まれ、脳みそごと握り潰されました。
翌朝、エミリーやカップルの死体が発見され、街の人々は偏見からボブが犯人であると断定し、全力で彼を捜すことになりました。
街ではこの2日間で5人もの人間が失踪するなど、明らかに異常な事態が起こっており、人々は疑心暗鬼に陥っていたのです。
死者の街
そして、とうとう死者が蘇り始めました。
葬儀社では、エミリーが死んだ晩に同様にショック死したホールデン婦人が、貴金属を盗もうとした者の指を喰いちぎりました。
その後、婦人は何故かサンドラの家の中へと移動します。
婦人の死体を発見したサンドラはジェリーに助けを呼びますが、婦人は再び姿を消します。
二人が室内を探すなか、うなり声が聞こえると、突然窓ガラスが砕け散り、ガラス片から血が流れ出ました。
行く先々でトマス神父に追いつめられるボブは、安全な場所を求め転々としていました。
やがて女友達の家に忍びこむと、ガレージの車の中で眠ってしまいます。
ボブを発見した女友達は彼を逃がそうとしましたが、そこを父親に見つかってしまいました。
父親は、ボブが一連の事件の犯人であり、なおかつ娘をたぶらかそうとしていると決めつけ、電動ドリルでボブの頭を串刺しにしました。
メアリーとピーターは自殺した神父の線から教会をあたり、ダンウィッチの情報を得ることができました。
とうとう街に到着した二人は墓地を探索し、メアリーのビジョンに登場した墓碑を特定することに成功します。
あとは元凶となったトマス神父の墓を探し、悪の源を絶つのみです。
そこへ、ホールデン婦人の件で葬儀屋を捜していたジェリーとサンドラも墓地へやって来ました。
偶然出会った4人は、この一連の怪異についてジェリーの家で情報交換をすることになります。
その時、悪の力による警告なのか、突然家の窓が開くと、夥しい数のウジ虫が彼らに向かって降り注がれました。
ウジ虫の雨に疲弊している中、一本の電話が鳴ります。
それは、亡きエミリーの幼い弟ジョニーからのSOSでした。
死んだはずのエミリーが現れ、両親を殺したというのです。
生者VS死者
一行はジョニーを救出すると、サンドラにジョニーの保護を任せ、残り3人でトマス神父の墓を探しに行きます。
しかし、サンドラはジョニーをジェリーの家へ連れて行ったところ、待ち構えていたエミリーに襲われ、後頭部を握り潰されてしまいました。
必死に逃げるジョニーを、今度は惨殺されたカップルの男が襲います。
それを振り払って走るも、また目の前にエミリーが立ちふさがりました。
もはやこれまで、と思われたジョニーですが、警官を連れて戻ってきたジェリーによって助けられました。
エミリーと対峙したジェリーが目を閉じ、恐怖を振り払うとエミリーは目の前から消え去っていました。
街には非常事態宣言が出されました。
ラジオからも家の外に出ないよう、警告の放送が流れています。
酒場の店主と常連客もさすがに身の危険を感じ、帰ろうとしましたが時すでに遅し。
瞬間移動する死者たちに囲まれ、貪り喰われてしまいました。
すでに時刻は夜を迎えています。
もはや一刻の猶予もない中、トマス神父の墓探しが始まりました。
一行がトマス家代々の墓を発見し中を調べると、そこは地下墓地へと続いていました。
そしてトマス神父の墓を探し当てると、中にはまたしても秘密の通路が隠されていました。
通路を進む一行の前に、今度は先ほど殺されたサンドラが現れます。
驚く間もなく、ピーターはサンドラに背後を取られ、やはり後頭部を握り潰されました。
ピーターの死体には瞬時にネズミが群がりました。
サンドラが今度はメアリーを見つめると、メアリーは血の涙を流し始めます。
ジェリーは手近にあった杭を掴むと、涙ながらにサンドラに突き立てました。
犠牲者は増える一方ですが、二人には悲しんでいる時間はありません。
なお悪いことに、怪異の最終段階は近く、地下墓地に埋葬されている無数の死体が蘇り始めました。
とうとう地下墓地の最深部に着いた二人に、無数の死体が迫ります。
同時に、満を持してトマス神父が現れました。
メアリーはまたしてもトマス神父に睨みつけられ、血の涙を流す危険な状態に陥ります。
その隙にジェリーは傍らの木製の十字架を掴み、トマス神父の腹部を突き破りました。
空洞となった腹からは炎が立ちのぼり、たちまちトマス神父は炎に包まれ、やがて灰と化しました。
全ての元凶が消えたことで、復活した死者たちもまた炎上し、燃え尽きました。
地獄の門を閉じ、地上へと帰還したジェリーとメアリーを、警官に付き添われたジョニーが出迎えます。
嬉しさのあまり二人の許に駆け寄るジョニー。
しかし、ジョニーを見たメアリーは何故か悲鳴を上げるのでした…。

⇦ノンクレジットだが検視官を演じるルチオ・フルチ御大(左)
『地獄の門』の感想 馴染みの居酒屋のような心地良さ

祝!書籍『別冊映画秘宝 ルチオ・フルチとイタリア血みどろ映画 地獄の門』(秘宝新社刊)再販!
発売と同時に市場から消えプレミア価格となった同書ですが、やっとのことで増刷が決まり秘宝新社の公式サイトで買えるようになっていました。
しかし、喜ばしいことには違いないが、何も私がプレミア価格で購入した瞬間、再販することもなかろうに…。
ホラー映画に興味を持ったうちの長男が最近、ルチオ・フルチ作品を気に入ったらしく、私自身も欲しかったし、何より子どものための教材として買い与えるべきだと思ったんですよね…。
この手の別冊が増刷したためしがない気もしますし…。
それで本を買ったら当然『地獄の門』が観たくなり、久しぶりに見返したところ、やっぱりしみじみと本作の良さを実感するに至りました。
ゆったりとしたゾンビの動き、テンポがよいわけではないのに決してダレない間のとり方、ふざけた展開ながらも割とシリアスな雰囲気、曲数は少ないが厳かなBGM、そして何といっても理屈を吹き飛ばした残酷描写、これらが観る者に安らぎを与え、心の渇きを癒してくれるのです。
例えるなら、行きつけの小ぢんまりとしたやや汚い居酒屋といったところでしょうか。
意識高い系の店とは対極をなし、チープな材料で気の利いたジャンク的小料理を作ってくれ、価格は当然激安。
こちらが欲しい一品が的確にラインナップされており、お手軽に幸福感を味わえる店です。(ちょっと清潔感には欠けるけれども)
当然、ピシッとした高級スーツ姿の所得の高そうな男はまず見かけないし、若い女はそもそも皆無です。
けれども客層が悪いわけではなく、客はみな分相応をわきまえるし、呑むという行為に対してすでに上級の域に達しているので、誰一人店の空気を壊すことはありません。
私個人の行きつけの店に大分シンクロさせてしまいましたが、本作のジャンルや作り、視聴者層を考えるに的確な表現だと思うのですがいかがでしょうか?
(つまり恋愛映画などがお好みの客は小洒落たダイニングバーへ行けばよろしい)
本作の視聴者は、その心のこもった一品一品(ゾンビたちの腐り具合とか、脈絡もなく内臓を吐き出すとか、本筋と関係ないところで被害者がドリルで脳天ブチ抜かれるとか、ウジ虫の雨とか)を楽しみにしているのであり、それらを堪能した客の満足度は高いに決まっています。
もちろん、その代わり脚本は滅茶苦茶であり、およそ整合性はとれていません。
フルチ監督のセンスだけで面白さが成り立っていると言えるでしょう。
また、特殊効果のジノ・デ・ロッシ(『サンゲリア』の特殊効果担当であるジャンネット・デ・ロッシとは別人)の仕事ぶりが冴えています。
ゾンビの顔はみなグチャグチャになっているし、やたらと多い被害者が頭を潰されるシーンでも脳みその露出具合が絶妙です。
ボブが冒頭で発見した腐ってミミズだらけの子供(?)の死体もインパクト絶大だし、ボブの脳天貫通シーンがじっくりと描写されるのも手に汗握ります。
1980年という製作年代ゆえかもしれませんが、特殊効果の生なましさとチープさのバランスがとても好みです。
映画としての志は低いかもしれませんが、ジョージ・A・ロメロ監督とは違うゾンビ映画の面白さ、そう、それはまさしく正統派ウエスタンに対するマカロニ・ウエスタンのように、過剰さ・チープさ・娯楽性の高さがイタロ・ゾンビ映画にはあります。
我々ボンクラ中年はそれを愛してやまないのです。
本作の蘇った死者はゾンビ?幽霊?その特徴について
『地獄の門』は『サンゲリア』に次ぐフルチ監督のゾンビ映画ということになっていますが、本作のゾンビはサンゲリアと比べても大きく性質を異にしています。
ここではその特徴をまとめたいと思います。
①宗教色の濃い出自である
ゾンビ映画にしては珍しく、本作のゾンビの発生原因はハッキリしています。
トマス神父が地獄の門を開いてしまったからです。
生前のトマス神父の描写が全くないので、その目的は不明ですが、本来キリスト教の戒律を一番厳格に守らなければならない神父が、自殺という背信行為をおこなうことで地獄の門を開いたのですから、彼は悪魔崇拝等の反キリスト教的な考えをもっていたということでしょう。
また、このことは旧約聖書であるエノク書に書かれている、と霊媒師テレサが言っているので、地獄の門が開かれるということは最後の審判に近いニュアンスであると思われます。
まあ、フルチ監督が何か宗教的なメッセージを持たせたかったわけではないだろうことは観ていれば分かりますが、本作のゾンビの発生原因としては、軍の研究でも謎の疫病でも、はたまた惑星爆発によるものでもなく、一応キリスト教に関連したものとなります。
②幽霊っぽい
これが最も混乱するポイントなのですが、従来のゾンビ映画がゾンビを即物的に描くのに対し、本作はどうもオカルト的な描き方をしているのです。
その顕著な例がテレポーテーションです。
自殺後のトマス神父は神出鬼没で、至る所に出現しては消えるのを繰り返します。
死亡時の首を吊った姿で現れることも多いです。
これではまるで『シックスセンス』に出てくる幽霊と変わりません。
トマス神父だけでなくエミリーも、また酒場を襲撃したゾンビたちも屋外から屋内へ瞬間移動していました。
また、ゾンビが登場する時のドバーン!という効果音や、下から顔をライティングする演出なども典型的な幽霊の見せ方と言えるでしょう。
しかし、彼らは実体のない霊などではなく、きちんと死体として蘇っているので、その点ではゾンビと断定してしかるべきなのです。
③力は滅法強いが、防御力はゼロ
本作のゾンビの攻撃力は極めて高いです。
瞬間移動で被害者の背後に周り、後頭部をまるで豆腐か何かのように一瞬で握り潰すのを最も得意とします。
さらに物理攻撃だけでなく、被害者を見つめることで血の涙を流させ、最終的には全部の内蔵を吐き出させるという遠隔攻撃もやってのけます。
ただし、ステータスを攻撃や特殊能力に振り過ぎたせいなのか、動きは基本のろいし、特に防御力は無いに等しいレベルです。
そう、幽霊っぽくはあっても実体を持つがゆえに、本作のゾンビには物理攻撃がメチャクチャ効くのです。
ジェリーが手近なもので一突きすれば、サンドラもラスボスのトマス神父もあっけなく退治されてしまいます。
物語の始まりが宗教絡みだったので、地獄の門を閉じるのも何かキリスト教的な手段を用いるのかと思いましたが、意外にもシンプルに腕力で解決が図られました。(でもトマス神父を突き刺したのは十字架なので、キリスト教的な要素ではありました)
こうして見ると本作のゾンビが変わり種なのは、その発生原因がキリスト教の教義としての終末にあるからだと思われます。
フルチ監督は本作以降も類似したテーマで『ビヨンド』、『墓地裏の家』を製作しており、それらは俗に『地獄の門』三部作と呼ばれています。
そのいずれもゾンビの描き方は異なり、それぞれに味わいがあります。
フルチ監督の黄金期であるこれらの作品は、ゾンビ映画においてロメロ監督作品の次に必修科目なのです。

⇦家の外から幼い弟ジョニーを脅かすエミリー。見せ方が完全に幽霊のそれである。